「幸いな良い知らせを告げる足」(6月29日 主日礼拝説教要約)

7節の「良い知らせ」とは、6節の「ここにわたしがいる」という神のご臨在のメッセージのことを指します。主がともにおられるということは選ばれた民に神の守りと祝福があるということです。足は体の中で最も汚れやすいですが、平和、幸いな良い知らせ、救いを告げ知らせる足はそれでも美しいといいます。「・・神は王であられる」というのは、主が選びの民を完全に守り祝福してくださるということです。主が支配者であられることの幸いを民は味わいます。主はご自身の福音を伝えさせるために人を用いられます。バビロンから帰ってきたエルサレムの住民は歓喜の声を上げます。まず城壁を守る見張りが、さらにエルサレムの廃墟が神への賛美が響き渡らせるとあります。神の救いを受けた人々は大声をあげて喜び合います。私たちもまた神の御腕の中で救われました。そしてすべての民があのイスラエルの民の解放について知るのです。主に救われた人たちはあらゆる汚れから自分を遠ざけます。救われた私たちは今神の道を進むのです。私たちは心静めて神を仰ぎ見、神の栄光を表しまいりましょう。  

コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です